十牛圖 Shiniu tu
[十牛図 Jūgyūzu(じゅうぎゅうず)]
di
廓庵師遠 Kuoan Shiyuan [Kakuan Shien], XII sec.
Il monaco Tai-an chiese al maestro Pai-chang “Vorrei essere istruito nel buddhismo, che cosa è?”, “È come se cercassi un bue mentre lo stai cavalcando”.
1) 尋牛 | 2) 見跡 | |
3) 見牛
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4) 得牛
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5) 牧牛 | 6) 騎牛歸家 | |
7) 忘牛存人
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8) 人牛俱忘
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9) 返本還源 | 10) 入鄽垂手 |
Testo cinese
1 尋牛
茫茫撥草去追尋,水闊山遙路更深;力盡神疲無處覓,但聞楓樹晚蟬吟
2 見跡
水邊林下跡偏多,芳草離披見也麼?縱是深山更深處,遼天鼻孔怎藏它
3 見牛
黃鸝枝上一聲聲,日暖風和岸柳青;只此更無回避處,森森頭畫難成
4 得牛
竭盡精神獲得渠,心強力壯卒難除;有時才到高原上,又入煙雲深處居
5 牧牛
鞭索時時不離身,恐伊縱步入埃塵;相將牧得純和也,羈鎖無拘自逐人
6 騎牛歸家
騎牛迤邐欲還家,羌筆聲聲送晚霞;一拍一吹無限意,知音何必鼓唇牙
7 忘牛存人
騎牛已得到家山,牛也空兮人也閑;紅日三竿猶作夢,鞭繩空頓草堂間
8 人牛俱忘
鞭索人牛盡屬空,碧天遼闊信難通;紅爐焰上爭容雪,到此方能合祖宗
9 返本還原
還本還原已費功,爭如直下若盲聾;庵中不見庵前物,水自茫茫花自紅
10 入鄽垂手
露胸跣足入 來,抹土杜灰笑滿(思頁);不用神仙真秘訣,直教枯木放花開
Trascrizione e adattamento in giapponese:
- 尋牛(じんぎゅう) – 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
- 見跡(けんせき) – 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
- 見牛(けんぎゅう) – 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。
- 得牛(とくぎゅう) – 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
- 牧牛(ぼくぎゅう) – 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。
- 騎牛帰家(きぎゅうきか) – 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
- 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) – 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
- 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) – すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
- 返本還源(へんぽんげんげん) – 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
- 入鄽垂手(にってんすいしゅ) – まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。